先進的幼児教育手法の比較 – モンテッソーリ、レッジョ・エミリア、七田式

子育て・能力開発

本記事では、日本で流行している幼児教育手法であるモンテッソーリ、レッジョ・エミリア、七田式について、その教育理念と普及の歴史、手法を確認しつつ比較します。

モンテッソーリとレッジョ・エミリアの2つの教育法が生まれたイタリアで、モンテッソーリを採用する幼稚園・保育園数はこちらによると2023年現在254に対し、こちらでは2009年時点でアメリカは約5000、ドイツで約1200、日本で約150となっており、日本は比較的少ないにしても、教育法が生まれた国よりも他国の方が流行している現状があり、私はその背景を商業的理由と考えております。

なぜ3手法は注目されたか

現象そのものに興味がある私は常に、「あらゆる概念や制度は人が作り、その流行や普及には仕掛けた人と求めた人がいる」ことを想像します。この3手法は、歴史的・政治的背景に基づいて生まれ、経済的背景で注目・普及してきたと考えます。

「教えないとできない」対象として認識されていた子供の主体性や自己教育力に注目するモンテッソーリは、1970年代の日本の詰め込み教育への反省の中で、子供の個性を尊重しつつ発想力や思考力に秀でた人材を育成したいとする社会的ニーズによって祀り上げられ、受験戦争に熱心な親向けの「天才育成キャンペーン」で普及したと考えます。こうしたトレンドは、二次大戦後のアメリカや欧州の状況も一定程度説明できます。

一方で、こうした教育手法は時として対人能力に劣り、ベトナム戦争終了後、世界中で社会が多層化・多様化する中で、対人能力を育む手法にニーズが生まれたのだと想像します。ビジネスはスキル(技術)とリレーション(人間関係)の相乗効果で生まれる中で、モンテッソーリや七田式はスキルを育てるのに非常に適しているものの、リレーションをいかに育むのかを模索した結果、社会性を重視しスキルとリレーションを両輪として育成できるレッジョ・エミリアが注目されたのではないかと考えます。

※3手法流行の商業的背景を調べた記事は後日公開します。

本記事は私の仮説ベースで記載するため、事実誤認や認識齟齬あればご指摘頂けますと幸いです。

モンテッソーリ教育とは

1900年代初頭、イタリアの医師マリア・モンテッソーリ氏は監獄の医師として働いている中、投獄されている女性の子供たちが、床に落ちたパン粉を拾って遊んでいる姿を目撃します。彼らは食べるためではなくパン粉を集めて練って遊んでおり、その姿を見たモンテッソーリは、「子供たちは自身のアイディアで自身の作りたいものを創造した」という解釈に至ります。

当時は欧米中で産業革命が進展し、女と子供は工場労働を強いられつつ、「子供は何も知らない・分からないので、教育して賢くしなければならない」という風潮が強い中、モンテッソーリは子供の自己教育力を信じ、大人の役割は子供が自分で学べる環境を整えてあげること、必要になるしつけは大人が模範となって示すことを良しとします。

また、子供は興味の対象や発達における個人差が大きいことから、「子どもが何かに強く興味を持つ一定の時期」を敏感期とし、個人によって異なるこの時期に子供が同じ動作を繰り返すことから、子供を観察して敏感期に合わせた環境を整えるべきとします。

出典:Jungle city.com 第4回 子どもと敏感期 より引用

上記のように、個人差はあれど敏感期には複数の種類と時期があり、大人が子供の敏感期を見逃さずに育ちをサポートする環境を整えてあげることが重要となります。上記を見据えた教育プログラムは比較的しっかりしており、巷のなんちゃって評論家が言及するふわっとしたものではないので、ご興味ある方は日本モンテッソーリ綜合研究所こちらをご覧ください。

また、各敏感期での学びをサポートするべく、その時期ごとに教具を用意します。子供は教具をおもちゃのように使って遊ぶものの、遊ぶ過程で学びがあるとされています。教具はネット上で様々なレンタルサービスや自作方法が紹介されているので、ご興味ある方はそちらをご参照ください。

所々端折りましたが、教育理論についてもう少し詳細に学びたい方はこどもまなび☆ラボ(こちら)や日本モンテッソーリ綜合研究所(こちら)をご覧ください。

日本においては、1912年に初めて紹介されたものの定着せず、1960年代に再度紹介され同教育手法が導入されていたものの、当初は既存の教育法とは異なるひとつの教育手法として普及し、1970年代の詰め込み教育への反省と1980年代からのゆとり教育の導入も相まって、その後昨今の受験ブームの中で一躍注目されるに至ったようです。

なお、実際に同教育法の効果にお悩みの親御様は上記の本をお読み頂くと良いと存じます。メリット・デメリットに対する解像度が上がります。「より人格者になる」「より前頭葉が育つ」みたいな話が続くので、同教育法に真剣に取り組んでいらっしゃる方々の考え方について、色んな意味で本当に解像度が上がります笑 私は正直良く分かりませんでした。

レッジョ・エミリア教育とは

レッジョ・エミリア教育は、1950年代、2次大戦で壊滅的被害を受けたイタリアの都市レッジョ・エミリアの再建の折、市民の幼稚園建設運動を教育者ローリス・マラグッツィ氏が支援する形で始まり、少しずつ理論化されました。

1991年、アメリカの週刊誌『ニューズウィーク』にて幼児教育の国際的ロールモデルとして紹介され、GoogleやDisneyの社員向け預かり保育・幼稚園にも同教育法が取り入れられたことで有名になりました。

同手法では、「社会性」「時間」「子どもの権利」という3つの重要な理念があります。

  • 社会性:子どもの社会性を育むために、4名~5名のチームを作り、意見交換の中で活動を展開していく
  • 時間:時間割やタイムスケジュールなどは設けず、長期的なテーマにチャレンジし、深堀していく
  • 子どもの権利:子どもが主体的な活動を行うことができるよう、否定的にならず、子どもの権利を尊重する
保育士バンク レッジョ・エミリア教育とは。3つの教育理念や特徴、一般的な教育法との違い より引用

創始者のマラグッツィ氏の『子供たちの100の言葉』では、「子供には100通りの言葉や考え・考え方・話し方があるのに、学校や文化が99を奪ってしまう」という彼の問題意識が謳われており、モンテッソーリに比べてかっちりした理論や体系を持たない同教育法は、子供の主体性や自主性を尊重する点でモンテと共通するものの、他者との関わりの重視度芸術手法の重視度において異なります。

まず、レッジョ・エミリアでは「社会性」の理念に謳われるように、保育者・保護者・他の子供との関わりを非常に重視します。人との協力と情報共有において、大人は子供を見守り、子供たちは協業の機会が用意されます。具体的には、4~5人単位で一年間通じて取り組むプロジェクト活動があり、子供たちは話し合いの中で活動内容を決めます。例えば、四季を通じた粘土作品を作成したり、車について調べた内容をまとめて1年の最後に発表します。

日々の活動はドキュメンテーションによって写真・動画・文字媒体で記録され、保育者や保護者の情報共有に使われ、子供たちの気づきや感受性を理解し見守ることに活用されます。

また、保育・教育空間内にアトリエを設置し、自己表現において絵画や粘土といった芸術作品の作成を軸に置きます。敏感期に合わせて教具で感受性を伸ばすモンテッソーリと異なり、レッジョ・エミリアは子供一人ひとりの中にある感受性と子供たちの社会性の中で創造的な発想を養う、という考え方があります。

理論含めてある程度体系的に学びたい方は上記の書籍をどうぞ。

レッジョ・エミリア教育を理解する上で、保護者が家庭で同教育手法を行うことを想定して書かれた上記の本が実践的で大変参考になりました。

七田式教育とは

1950年代に七田眞氏が開発し、その後数十年にわたり改善・実践されている教育手法です。早期からの右脳の能力開発を志向し、速いスピードで流れるフラッシュカードや音声を使った記憶力・直感力の強化を謳います。

出典:七田式教育公式サイトより引用

幼少期に人間の脳の吸収力や探求力といった素養が90%決まるというモデルにおいて、知育・徳育・食育・体育の4側面からの育成を目指す中、記憶力や直感力を育成する知育的側面の他、食育のプログラム化にも力を入れているようです。

私は、この手法を幼少期以降の子供や大人にも応用する手法を試行錯誤する組織でバイトしていた経験があり、そこで見た手法は、まさに下記の動画のような感じです。

七田式の理念を理解したい方にはこちらがお勧めです。私は大学生のときの本書に出会い、幼児教育の世界に引き込まれました。

自分自身でやってみて効果があると実感し、子供にも試しているフラッシュカード。こちらのスターターキットでお子さんへの適正を試してみると良いと存じます。私も最初これを使って子供に試しました。

3つの教育手法の比較

重要な論点で3手法をまとめます。明確に子供の能力開発を謳うのは七田式のみで、モンテッソーリやレッジョ・エミリアは子供の情動的な力や非認知能力への意識が強いようです。ここで言う非認知能力とは、既存の学力テスト等では測れないコミュ力や感受性のことで、2015年にOECDが発表した定義で考えています。

もちろん個性や感受性、自己肯定感といった子供の自己認識や他者と関わる力、ひいては非認知能力も大切だとは思いますが、「好奇心突破」を実現する能力の獲得を目指して教育に対して明確な成果を求める私は、早期から一領域での専門特化を良しとします。

ここでは、いずれの領域に応用できる記憶力や誰とでも柔軟にかかわれる社会性より、例えばダンサーとして世界で勝負する上で踊りやフォーメーションを短期間で大量に覚えて実演できる力や、自身の目指す姿を実現するために他者と切磋琢磨したり教えを請いたい人にアクセスするコミュ力の方が大切だと考えます。

なお、客観性・再現性をなるべく高める上で、カリキュラムが整備されていることは非常に大切で、明確なカリキュラムを持たないレッジョ・エミリアは保育・教育レベルが保育士に依存する点を懸念します。

また、教材や道具とその使い方が明確な七田式と異なり、教具やアトリエでの子供との関わり方を理念レベルで理解しつつ現場レベルで日々使い分けなければならないモンテッソーリとレッジョ・エミリアは、効果の保育者依存度が高いと考えます。

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