100年後の公共をデザインする – 私の人生の目的

社会・地歴

「公共」を考えるとき、私には下記2つのモデルが常に心にあります。

ジンネマン:人が自然から生まれた生き物なら、人が出すゴミや毒も自然の産物ってことになる。このまま人間が住めなくなったとしても、それはそれで自然がバランスを取った結果ということなんだろう。自然に慈悲なんてものはない。昔の人間はそいつを知っていた。他ならぬ自然の産物の本能としてな。

バナージ:だから生きるために文明をつくり、社会をつくって身を守った。

ジンネマン:ああ。だがそいつが複雑になりすぎて、いつの間にか人はそのシステムを維持するために生きなきゃならなくなった。あげく、生きることを難しくしちまって。その本末転倒から脱するために、宇宙へ新天地を求めた。

機動戦士ガンダムUC episode 4より

1つ目はガンダムUCでも語られる、「自然の脅威から身を守る手段としての文明」という考え方。

2つ目はジャン=ジャック・ルソー。学校ではホッブズ・ロックと並んで自然法思想の単元で学びますが、彼の『人間不平等起源論』や『社会契約説』を読むと、ルソーの20代まで定職に就けずフラフラしてたり愛人にフラれて家出したりした過去が憎悪となって文明発展を批判的に捉えることが、ヴォルテールや百科全書派といった当時のエリート進歩論者への逆張りとなって自分を奮い立たせているように感じます笑 

私の理解で彼の思想をかいつまんで紹介すると、その日暮らし状態だった原始社会は平和で愛に満ち溢れていたものの、農具や土地生産性の発達で収穫量に余剰が生じ、これをめぐって闘争が起き、勝った統治者は私有財産制を導入して不平等を正当化した。国家が私有財産を認める形で不平等が肯定され、人は堕落する。この状態を打開すべく、全ての市民は自身の特権と従属を国家に返納するsy会契約を結び、平等状態で国家運営に参加し、国家は市民の生命と安全を保障する。この状態を良しと考えています。

上記2つのモデルは、私にとっては非常に示唆に富みました。まず、現在の社会の生きづらさの原因を、自分ではなく複雑な社会に求めることで、その解決に国家を倒すor新天地で新国家を作るという抜本的手法に求める思想。そして、健全で平等な共同体を営むために、特権を手放す体制側の王・貴族・平民が存在するとする現実離れした思想。

いずれにおいても、人は群れて社会を形成するも、自分は特権を持たず不遇を受ける側にあるという不安と不満を常に抱いて生きるのが人類で、格差が広まるほど『パンとサーカス』ならぬ『生活保護とW杯』を求めて、分断や対立を否定しなくなる。国民の合意で成り立つ社会とは、常に流動的です。

古代ローマのポリビオスは政体循環史観を提唱します。彼が良しとした古代ローマの政体も結局は彼が悪しとした古代ギリシャの政体と同様に変容し、王政、貴族政、民主政を循環しながらこの世界は成り立っているのかもしれません。

こうした学びの中で、私は社会制度が国民の不満により流動的に機能するという前提に立ち、国際関係や国内動向に合わせて社会制度、とりわけ私が専攻した社会保障政策の形を変える必要があるのだと考えるようになりました。これが、「100年後の公共」というアイディアの源泉です。

そもそも公共とは、国家の構成員たる国民が、互いに助ける共助の精神や生活利便性向上を目的に税負担によって実現するもの。貧しい者を野放しにすることによる雇用不安・経済停滞や治安悪化を防いだり、みんなが使う道路や電車・航空機の通り道を整備したり、安定的な生活を送るために必須な食糧やエネルギーを安定供給したり。

日本に限らず、社会が多様化し、国内の貧富差が拡大し、異なる情報が流布し、異なるコンテンツを楽しみ、多層化・バラバラになっていく社会を戦後の制度のままで維持するのは難しく、また、制度を変更するための合意形成も更に難しい中で、政治家や官僚といった公共を担う人たちは雁字搦めになると思います。

私が担うべき役割は、こうした硬直しがちな社会に柔軟な解決策を作る文化や土壌を作ることだと考えています。市民がフットワーク軽く課題と解決策を提示し、時に行政と連携しつつ課題を解決していく場を作りながら、「今後はこういう公共が必要だし、こういう公共は不要だよね」という合意形成を図ります。

そのための手段は、今後このブログで少しずつ紹介しようと思います。私の中では結構クリアな構想があり、実現に向けて少しずつ進めています。

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