私の教育の目的 – 階級の維持・向上

子育て・能力開発

子供に対する「将来の選択肢を増やす」「自分の好きなことを好きな時に選択できるようにする」といった子育てする親の想いは100%以上に共感するものの、その先にある目的やその実現手段において、わが家、というより私は結構極端な教育思想を持っています。このブログは、こうした思想を持つ私自身の考え方の変化や、その影響を受けた子供たちの成長を長期的に記録するために始めました。

たまに妻と子供の教育方針について話すものの、教育の最終的な目的は結局「階級の維持・向上」という私のスタンスは結婚前から変わらず、妻も「まー確かにそんなもんだよね」程度には理解を示してくれています。

この記事では、私の偏った教育思想を概観します。

子育てという現象

近代以降、子供は国家によって保護される対象となりますが、その保護によって子供がより高い生産性を身に着けて大人になった後により良い社会を実現することがなければ、国家による保護は持続しません。

国民国家成立以前、老人と子供は派遣労働者のごとく、労働力需給に応じて捨てられる存在でした。赤ずきんちゃんが向かう先は姥捨て山であり、冷夏で不作の年に山に捨てた子供を供養するために「こけし(=子消し)」を作ったという言説もあります。当時の家庭が子供を産む理由は労働力確保であり、老いる前に多くの子供を授かってより大規模な農業を行えるようにするし、不作で収量が落ちれば、やむなく生産性の低い子供や老人を切り捨てました。

ガンダムUCの言葉を借りれば、「人間は上記の自然の厳しさを知っており、それから身を守るために文明を作った。しかし今度はその文明を維持するために苦労しなければならなくなった。」というのが、非農業従事者である私達労働者世代が毎日に身を粉にして働く理由だと思います。

私たちは必死に働いて蓄財し、その富と時間を親の介護と子育てに割り当てます。親の介護は置いといて、子育てに富を割り当てる理由は、子供を「ギリギリ死なない」程度以上に豊かで幸せにするためだと願いますが、子供により豊かで幸せで希望と選択肢に道溢れた将来を見せるためには、富と時間が果てる前に子供に富を生む生産性を身につけさせる必要があるのでしょう。

私の視点 – 家族を養うための生産性の維持・向上

生産性とはビジネス上の時間対効果・投資対効果であり、子供が研究者になろうと労働者・経営者・投資家になろうと、お金を稼いで食べていけるようになることは必須です。ビジネスとはスキルとリレーションで生まれ、人はお勉強や訓練を経てスキルを獲得しつつ、属するコミュニティで人間関係を豊かにしてリレーションを獲得しながら歳を重ねます。

私も子育てする一人の親として、子供には現実のしがらみに囚われず自由な発想で幸せに生きてほしいと願いますが、その実現のためには私がより生産性を高めてお金を稼ぐ必要があるし、多分私は意識的・無意識的に子供にも同じことを願っているのでしょう。そしてそれは、おそらく殆どの親の欲求だと思います。

では、なぜ生産性を高め続ければいけないか。それは、私が安定した富と生産手段、言ってしまえば既得権益を持たないからです。私が貴族や大地主なら、世襲した土地や財産を使って寝ながらにして富を得ることができます。私は貴族ではないので既得権益がなく、一度稼げなくなったら一家で没落します。そして怠惰な私は、願わくば自分が働かなくて済むなら仕事を止めて自分の好きなことだけやってるでしょう。

上記の考え方が、私が働きつつスキル・リレーション研磨を続ける理由であり、これを止めれば私は家族を養えません。

一族、過去と未来の視点 – 階級の維持・向上

私が生産性を維持した先に何があるのか。それは、私の子や孫に投資することができ、彼らがより多くの選択肢を得てより豊かな人生を送りつつ生産性を維持・向上させ、彼らの子や孫にもこの流れを継いでいく。つまり私は、一家・一族の繁栄を願い、自分たちが豊かな階級であることを維持しつつ、可能ならその階級を向上させたいと願っているのだと解釈するようになりました。壮大な社会的使命のために家族や一族を犠牲にできるほど、私は大きな器ではなさそうです笑

出典:Quora – 日本の年収について議論するとき中央値ではなく平均値で議論するのはなぜでしょうか?平均値では格差問題が見えにくくなってしまうのになぜでしょう?

これは結構シビアな話ですが、少子化の進む日本では、親と同等のことをしても貧しくなる一方です。インフレや円安も進んでおり、自分の上の世代とは異なる生産性や職能を以てして、親以上に稼がずして階級は維持・向上できません。なんとなく中高で勉強して、大学を出て、周りと同じように上司に不満を言いながら一つの企業で働いて昇進して。。。なんて過ごしていたら間に合いません。富を生む、生産性を高めるというのは辛い話だと常日頃感じます。

もう少し踏み込んだ話をすると、「自分の子供に幸せになってほしい」という願い方は短絡的だと感じます。「その先の子孫の幸せは子供に任せる」は、高々50年弱の繁栄に過ぎない。中国の科挙ですら、一度合格しても「3代先」までしか繁栄できないとされます。

引用元:ソフトバンクニュース 言うは易く行うは難しの「群戦略」にかける思い 決算説明会レポート

ソフトバンクグループの孫正義社長は『群戦略』を説き、同グループを300年続く存在にすると公言なさっています。

引用元:確かめよう、日本の歴史 平安時代 3 藤原道長

858年に原型を作った藤原家の摂関政治は、その後11世紀末に院政が始まるまで持続。

意識する時間軸によって、親がとるべきリスクと狙うべきリターンは大きく異なるし、この時間軸の考え方が違うと生活習慣や仕事観、そして子育て・教育観が大きく異なる気がします。「分かり合えない」と感じることも少なくありません。

「階級」を子供に伝える

では、階級の維持・向上に向けて、私はどんな教育を子供に施すのか。細部の手法は置いといて、私は子供に「現象」を伝えることに躊躇しません。

富裕層の発生とともに(相対的・絶対的)貧困層も発生するし、両者の層は構造的に生まれるため極めて逆転し辛い。全ての価値は自分の知覚できない世界のあらゆる情勢で変化し、価値を持つ者が持たざる者から収奪し続けるのがこの世界だよ、と。なんだかマルクス主義者のよう笑

出典:ピケティ「r>g」の世界に抗うための株式投資

経済学者ピケティが示した「r>g」は私には結構衝撃で、これまでの歴史を通じて、労働者の成長率(g:経済成長率)を資本家の成長率(r:資本収益率)が上回っている、つまり、資本家は常に労働者の成長を吸い続けて肥大化しているというもの。ここから得る私の生き方は、労働者として富をためていち早く資本家に移行し、より豊かであり続ける土壌を固める、というもの。こうした階級ごとの生産性の違いは、もはや善悪議論ではなく現象でしょう。

なにせ、近代とは戦士階級を資本家階級を打倒して成立しており、彼らが儲からなければ彼らが政権を担うメリットがないのです。

こうした現象に疑問を持ち、ソ連宜しく再び労働者階級による国家を作るもよし、とにかく自分の思った通りの選択肢を取って望みを実現するには、富や階級が必要です。現実に即して私は子供にこのことを伝えるし、私自身も階級の維持・向上に努めます。

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