Big Techの福利厚生の社会的役割 – 渡米7カ月の雑記

プロフィール

Amazon USで働き始めて7カ月。家族の渡米が迫っており好きな時間に好きなだけ働くことができなくなることに備えつつ、弊社の週5出社が発表されたり、Google officeにお邪魔してランチしたり、働き方について色々と考えることが多かった1カ月でした。

私の専門領域である社会保障、特にその財源に関する議論に絡めて私見を述べます。

渡米7カ月 家族の受け入れに向けて

前回、渡米6カ月の記事を書いた直後、これまでの私の成果に対してAwardを頂きました。単身がむしゃらにやってきたこともあり、正直に非常に嬉しかった半面、ずっと家族に会えずに辛い思いをしてきたことも頭をよぎりました。

そんな寂しさももうすぐ終わる、もうすぐ妻子が渡米してきてくれる。喜びの半面、実は不安の方が大きくて、これまでのようながむしゃらな働き方はできず、新しい国に慣れない妻子をケアしながら自分の仕事のパフォーマンスを維持・向上することについて、出来得る限りの準備をしなければなりません。

週5出社、保険・家の購入ローン補助、ごはん無料

出典:Amazonが世界全社員に週5出社を義務付け GoogleもAppleも…巨大テックの過去回帰のワケ 生産性向上のための今後

そんな不安の中で発表された弊社の週5出社。私はオフィスから徒歩5分のところに住んでいるため、正直これ自体には大した影響はありません。また、私はやりたいことがあってこの会社に属しているので、多少労働環境が悪化したところで会社辞めたりしません(と思います笑 すいません、こんなこと言っときながらやっぱりグリーンカード取得したら速攻転職するかもしれません笑)。

ただ、周囲にはやはり仕事と家庭の両立の中で週5出社は不可能、という声は少なからず聞こえてくるし、話を伺うに確かにそれは厳しいと私も思いました。今回の決定により、弊社で働き続けることができない人が少なからず生じるのは事実だと感じます。

公共サポートのない世界 

弊社はじめBig Techは、アメリカの中でも福利厚生に優れ、医療保険の会社負担だったり、先日噂程度に耳にした自宅購入時のローン補助の可能性だったり、あるいは先日お招き頂いたGoogleオフィスでの無料ごはんだったり。実際にアメリカで働いてみて感じます。こうした会社によるサポートがいかにありがたいか。

私は日本の公共政策を専攻し、公共サポートのある日本での生活を思考のベースにしているので、日本で自分がいかに守られてきたかを痛感します。定期的に値上がりするアメリカの近所の保育園は子供一人あたり月3500ドル、1ドル150円換算で月50万円以上です。家族で住むことを想定した今のアパートの家賃の1.5倍です。日本では保育園料は収入に応じて上がるものの、上限でも10万円代だったと記憶しています。

教育においても、「良いところを伸ばす」「教え込まない」「過度に競争させない」という点で日本から好意的に評価されがちなアメリカの(公)教育は、実際に触れてみるとかなりいい加減な放置プレーだと思うことも少なくありません。国民の生産性のボトムアップに向けて、日本の先人たちが近代以降整備してくださった公教育システムは実は非常にありがたいものだと感じます。

日本の公共は、確かに社会変化への対応に追い付かず様々な面で批判されていますが、その防貧・救貧制度はもっと評価されるべきで、批判してるやつらはもっと海外で公共サポートが皆無な世界を体験してみろ、とつくづく思うものです笑

公共の補完:企業による福利厚生

手厚い公共サポートが受けられないからこそ、会社からの受けられる福利厚生やサポートに魅力があり、これ自体が会社への就職理由になり得るというのは、アメリカに来て痛感しました。特に一緒に働く異国の同僚は、みんな口を揃えてこの話をするし、そして私が日本人で日本にはこういう公共サポートがあるよという話をすると、みんな口を揃えて「日本は天国のような国だ」「youは何しにアメリカに?」と仰います笑

子育てサポートがほぼ皆無なことに加えて、アメリカでは治安の悪さ故に子供たちだけで外で遊ばせるわけにはいかず、送り迎えは必ず親の車、外出は必ず親同伴です。日本に比べて子育てにおける親の負担が圧倒的に大きいし、公教育はいい加減だし、長期休み中のサマースクールや学校外の塾などは非常に高額で日本に比べて品質が低かったりします。

また、先日教えて頂いたアメリカの老人ホームの話では、月に一度、嚙む力のテストがあり、テストに合格したら食事をそのまま提供してもらえるものの、不合格だと食事をミキサーにかけて液体にして提供されるとのこと。。。その施設ではホットドックが液体になって提供されるとのことで、この話をしてくれた日本人ご夫妻は「液体ホットドックなんて絶対食べたくないから、老後は絶対に日本に戻る」と仰ってました笑

出典:HR Linqs, Inc.2024年米国における様々な平均給与の実態③「州別平均給与額」 / The Reality of Various Average Salaries in the U.S.:「アメリカ人事を図と表で(仮)」#アメリカHR

私が住むSeattleエリアは一番左上のWA州(ワシントン州)、平均所得が高い方です。Big Techの超高給が反映されている点ではWA州とCA州(カルフォルニア州)が高く、そしてそれぞれ生活コストも他州と比較してかなり高いでしょう。

生活コストが高いことに加えて「優秀な」労働力が不足しているからこそ、各企業は給与に加えてオフィスや食事、移動といった仕事に関係する導線から保険料等の生活に関わる福利厚生を充実させていくのでしょう。また、労働者側もみんなして福利厚生の手厚い企業に応募するゆえに「コネがなければ書類すら通らない」「名門大学院じゃなければ就職も厳しい」といった話もよく伺います。労働者の労働市場における大企業へのアクセスは、日本以上に悪いかもしれません。

出典:statista 2022年米国における世帯年収の割合の分布

先ほどは各州の平均でみましたが、アメリカはやはり貧富差、これが日本に比べて断然大きいです。不法移民かどうか分からないホームレスの方を見かける機会も日本に比べて多いです。最もそれを良しとする国民性だからこそと思いますが、貧者救済のオバマケアが廃止されても文句ないあたり、やっぱこの国の「自助努力」という考え方は、分かりやすくて個人的には大好きです。

日本企業の福利厚生の歴史 :法定=保険、法定外=住宅

さて、民間にお願いして公共サービスの不足を補ってもらう、という話で私が想起するのは日本の戦後からの歴史です。GAFAMなどのBig Tech登場以前から、日本では企業による福利厚生が発達してきました。

2次大戦後の1950年代に終身雇用制度が確立していくのと並行して、1947年の労働基準法には年次有給休暇が盛り込まれたほか、厚生年金保険・介護保険・健康保険といった法定福利厚生に加えて、社宅や保養施設利用といった法定外福利厚生も幅広く拡大しました。下記表が法定外の一覧です。

出典:谷田部光『わが国における福利厚生の現状とこれからの方向』

厚労省が行った福利厚生の実態は毎年実施される就労条件総合調査の中で5年ごとに行われ、最新の令和3年(2021)年度調査においては、法定内・法定外福利厚生も賃金の一部として捉えた「労働費用」の中で、現金給与の割合が82%を占め、残り18%の中に法定福利厚生(各種保険料など、68.6%)と法定外福利費(6.7%)が含まれます。法定外福利厚生費の51%を「住居に関する費用」が占めており、日本では家賃補助や社宅のサポートが大きいことが分かります。

出典:令和3年就労条件総合調査 労働費用

この調査は平成14年(2002年)まで遡れるものの、現金給付の割合が80%前後、法定外福利厚生の中で50%前後が住宅に関する費用という傾向は変わらず、少なくとも直近20年程度は福利厚生の形が変わらないまま、法定外の企業の自主的なサポートは住宅関連に大きく寄っています。

この「住宅に関する費用」とは具体的には、社宅と家賃補助です。特に社宅は条件によっては企業側にも税制においてメリットがあることもありますが、こうした住宅費用を手厚くしたのは戦後からの住宅不足が大きな要因として挙げられます。60年代ごろまでの住宅供給は主に防貧を目的とした社会保障政策でした。家がない貧困層に住まいを提供するための施策です。

第2次大戦後の住宅政策は、住宅不足への対応から始まった。戦災による焼失、海外からの引揚げや復員により大量の住宅が不足していた。終戦の1945年8月時点で420万戸の住宅が不足していた。

この住宅不足を解消するために設けられた国の機関が戦災復興院だった。また、1950年には、低利で住宅の建設や購入資金を融資することを目的とした住宅金融公庫法が制定され、翌51年には、低所得者向けに自治体が公営住宅を提供するための公営住宅法が制定された。そして、1955年には、都市部の勤労者向けに公的住宅を大量に供給することをねらいとして日本住宅公団が設立された。こうして持ち家階層向けの住宅金融公庫、低所得者向けの公営住宅、都市部の中間層向けの公団住宅という戦後住宅政策の3本柱が階層別に整備された。

出典:日本の住宅政策の現状と課題

一方で、経済発展とともに大量の労働力が必要になり、農村部から都市部に人が移動する過程で、企業による「福利厚生外」の住宅支援が活性化します。1960年代以降、都市部やその近郊に社宅やニュータウンが建設されます。彼らは賃金とは別の形で居住サービスの提供を受けました。

出典:HOUSING REAL ESTATE INSTITUTE 社宅新設着工戸数の推移

1970年代に入ると、農村から単身移住した人達が家庭を持って「核家族」となり、マイホームを持つことが流行します。この過程で社宅需要は低下していき、法定外福利厚生費は現在の水準まで低下したと推察されます。

税制による賃上げ抑制の歴史

出典:内閣府 政府一般会計歳入歳出および公債発行額の推移(2) 国の財政状況

上記の厚労省の労働条件総合調査においては、福利厚生を労働費用として現金給与に含めて計算していました。Big Techを含む外資系企業に比べて日系企業は給与が低いと言われがちですが、その理由を歴史に求めるために、次に税制の話に触れたいと思います。一言でまとめると戦後からの税制によって賃金の伸びを抑えたという話になります。私の専攻である社会保障と絡めて述べます。

出典:NHK for School 国家財政-中学

学生時代、国家の財源調達手段を大きく国債・保険料・税の3つに分け、それぞれの内訳の変遷や国際比較を試みる中で、そのトレンドが家計・行政・企業の3つのセクターの中でも行政と企業、もっと言うと日本における中央政府と、旧財閥系や自動車系をはじめとする大企業の力関係で決まるという漠然としたイメージの下、大学生の私は法人税の政治的動向が社会保障政策の制度設計及び財源調達手段に大きく影響を与えるのではないかという仮説を立てて研究しました。あの時学んだ様々な世界観が私のその後の社会人生活の方針を大きく方向付けたことは間違いありません。

中でも、一橋の学長や政府税制調査会の会長を歴任した石先生らも仰っていた「1990年代まで法人税率を上げ続けて所得税率を下げ続けることで、結果として賃金の伸びを抑制した」という税制の見方には、私も結構納得しています。

アメリカの影響下にあった第二次世界大戦後、直接税を中心とする恒久的・安定的な税体系を目指すシャウプ勧告に基づいた税制が昭和25年に施行され、現在の我が国の税制の基礎となりました。

 このいわゆるシャウプ税制は理論的に首尾一貫した公平な税体系を目指したものの、戦後復興期の社会経済の実情にそぐわないこともあり、昭和28年以降、シャウプ税制の修正が行われました。例えば、執行が困難な富裕税や累積的取得税制度などが廃止されました。また、シャウプ勧告は租税特別措置を公平の原則に反するとし、多くの租税特別措置は廃止されていましたが、高度経済成長期の昭和30年代からは、資本の蓄積と経済の発展を図ることなどを目的として様々な租税特別措置が導入されました。さらに、道路など社会インフラの充実を図る観点から、財源確保のため揮発油税などの税率引上げ等が行われました。

 所得税は累進構造を有しており、所得水準の上昇に応じて適用される税率が自動的に高くなる特徴があります。このため、昭和40年代には、高度経済成長による国民の所得の増加や物価の上昇に応じて、所得税の減税が毎年行われました。また、昭和40年代後半には、ドル・ショックや石油危機を背景とした不況対策のため所得税減税が行われました。

 昭和50年代には不況による歳入欠陥に起因した財政危機を打開するため、自動車関係諸税などの間接税の増税、法人税率の引上げや租税特別措置の整理・合理化などが行われました。この時期には、国民に広く薄く負担を求める一般消費税の導入が議論されましたが実現には至らず、課題として残されることとなりました。

 昭和62・63年にかけての抜本的税制改革では、高齢化、国際化などの経済社会の構造変化にあわせ、所得・消費・資産等の間でバランスのとれた税体系の構築が目指されました。法人税率が段階的に引き下げられ、所得税は税率構造を簡素化するとともに、基礎控除等の人的控除を引き上げました。個別間接税は廃止され、税率3%の消費税が平成元年4月から導入されました。

出典:財務省 Q&A ~身近な税について調べる~

上記の財務省の文章を解説していきます。戦後復興の中で国民が成長に沸く中で、日本では1989年バブル崩壊まで法人税率を上げて所得税率を下げ続けました。労働者の約7割が企業の従業員という状況の下、所得税率を下げつつ法人税率を上げることで、国民の所得に対する税額の割合を下げました。法人税として企業から先に徴収し、国民からの直接の課税額を減らします。これにより、国民にとっては収入に対する課税額が減り、企業が賃上げしなくても手取りの増加を実感することができます。

実際には賃上げは多少行われており、国民は賃上げと減税の両方の恩恵を受けることができました。

出典:内閣府 わが国税制の現状と課題 -21世紀に向けた国民の参加と選択- 法人税率の推移

所得減税は政治家にとっても良いアピールでした。政治家は税率を下げつつも経済成長によって増収となった歳入を更に国民に還元して支持を集めようとしました。企業にとっても賃上げの上昇分を小さく抑えることができ、これが現在の日本の低水準賃金につながっているという指摘があります。現に1960年代以降は家賃補助や社宅といった賃金への直接的反映ではない形での労働者サポートも徐々に拡充し、賃金の伸びが抑制されたまま福利厚生が整います。

 高度経済成長のまっただ中。池田が引き上げた最高税率は75%(国税)に達し、法人税と共に税収は黙っていても増え続けていた。

 そこで池田が考えたのは、徴収した税の一部を国民に戻し、成長を加速することだった。同年10月の国会で、経済政策を聞かれた池田は、胸を張ってこう答えている。「経済成長は、社会保障の充実、公共投資や減税政策の推進に依存するところが大きいのであります。私は全体の施策の調和ある展開を期しておる次第です」。

(中略)

もっとも、池田は大蔵省主税局出身の税の専門家。大蔵省が池田の減税策を拒むことなどできはしなかった。池田は約4年の首相在任中、自然増収で国庫に入ってきたお金の一部を減税で納税者に還元した。そして、池田の後を襲った佐藤栄作もそれを踏襲し、75年度まで続いた。池田は自然増収分の8~16%を減税に充てたが、佐藤はさらに拡大。減税で民間活力を引き出し、さらに成長を遂げるというパターンを定着させようとした。

出典:日経ビジネス そもそも財政赤字はなぜ膨張したのか

出典:会計検査院 所得税、法人税及び消費税の歳入決算額と名目GDP及び景気動向の推移

この「パターン」の結果、国民は増税に対する抵抗感を強めます。加えて財政投融資の拡大により、収めた税金の使途やそのメリットが非常に見えにくくなりました。

そして、この「パターン」は1974年の第1次オイルショックで経済成長が鈍化することにより崩壊し始めます。経済成長が鈍化したので所得税収の自然増も鈍化しますが、とはいえ一度始めた所得減税の流れを止めることはできず、1974年は田中角栄による所得税2兆円減税、その後も1975年、77年、81年と所得減税・法人増税を行います。

当然、財界からの批判も強まる中で、1975年には赤字国債の発行が始まり、いよいよ歳出に対する歳入が足りなくなります。しかし1979年の選挙で消費税導入を検討した大平内閣が選挙で大敗した(議席数は選挙前比-1の248でしたが、自民党内部での勝敗ライン271を大きく下回った)ことで、消費税導入の議論は10年遅れます。

結局1989年のバブル崩壊と「国際競争力確保」の視点からの法人減税とタイミングを同じくして消費税が導入されることになりますが、の前後で行政と企業の関係性ならびにパワーバランスは大きく変化したと私は考えています。持続的成長に向けた相互の信頼関係はなくなり、企業は「成長したいなら企業負担を減らせ」の方向性になり、政府も重くのしかかる社会保障費の財源を消費税に見出さざるを得ませんでした。

その後現在にかけて、企業と労働者が折半する保険料を上げる形で財源確保に成功した部分もあるものの、基本的に税・保険料の拡大は国民からの反発が根強く、加えて国民は保険料より税の議論に終始するよう傾向があり、政治家が新しい財源を企業に求めることが極めて難しい状況にあると推察します。

さて、元は企業の福利厚生の話でした笑 話が長くなりましたが、こんな経緯があり、国家が企業に対して新たな施策に向けた財源を負担させることが難しく、まとまった財源となる消費税を拡大しつつも追い付かず、毎年国債を発行しています。同状況下、子育て財源確保や子育て世帯支援策は政策検討ではなく財源確保の点で難航し、国家による現役世代の福利厚生の更なる充実は難しい状況にあります。

出典:厚生労働省 労働経済白書 令和5年版 経済の分析 -持続的な賃上げに向けて- 労働分配率の国際比較

それでも企業主体で「働き方改革」なるものが進んできた背景は、少子化に伴う労働者の減少でしょう。といっても企業側も上述の通り以前から法定・法定外福利厚生(=社宅、家賃補助)はある程度整えている企業が多く、加えて旧来の年功序列型賃金テーブルをいじって若者だけ賃上げすることは難しく、労働者の「負担」を減らすために労働時間管理徹底して残業を削り、しかしそれは上述のように戦後以来の税制で賃金の伸びを抑えてきた分を補っていた残業代をモロに削ることになり、非正規雇用の拡大も相まって賃金水準が下がってる、結果として特に3次産業で労働分配率が下がる。これが日本の労働状況だと認識しています。

出典:厚生労働省 労働経済白書 令和6年版 労働経済の分析 -持続的な賃上げに向けて- 労働分配率の推移

(余談1) 社会保障の費用 – PB均衡でも赤字

出典:独立行政法人経済産業研究所 政府債務残高名目GDP比は過去120年最悪の水準

中学生の頃、私が社会保障領域に興味を持ったきっかけの一つが、国家の累積債務です。当時はよく「日本の対外純資産を累積債務が超えるとき、国債の信用が落ち日本が財政破綻を迎える」みたいな論調が流行ってた気がします。

出典:社会実情データ図録 政府債務残高の推移の国際比較

歴史の教科書でも鎌倉幕府の徳政令や、近世フランスのルイ14世の度重なる踏み倒し、アルゼンチンのデフォルトなどが試験に出る中で、私は「なぜ現代は日本だけではなく世界中で累積赤字が膨らむの?」という疑問を持ちます。

本来、企業や家計は剰余の一部を公共に委ね、公共はそれを元手に公共サービスを営みます。しかし日本だけではなく世界中で累積債務が拡大し続ける図を見たとき、中学生だった私はこれには何か古今東西共通する一般的な傾向があるのではないかと思いました。

この答えはとてもシンプルでした。なんと大学で教授が学部生向けの学期末テストに出題してたのです笑

出典:権丈善一『ちょっと気になる医療と介護』

なんだか難しいことが書いてあるように見えますが、要はこういうことです。

「今年の債務残高(B) 」= 「去年の債務残高に金利rを掛けたもの : (B_1)×(1+r)」 + 歳出(G) – 税収(T)

これをちょちょっと式変形して、右辺を「GDP比の債務残高 : – (G-T) / Y」 にしただけです。債務残高が0以上なら、累積赤字が増えることになります。つまり、今年の債務残高を0以下にするためには、少なくともどれくらいの財政黒字が必要か、それを消費税換算(消費税1%=2.5兆円)したとき、消費税何%に相当するか、という問題です。

問題文に書かれている式に日本の実際の数値を代入していくと、0.01*2 = -(G-T) / 500、つまり -(G-T) = 10兆円、消費税換算で4%という結果になります。

従って、年間10兆円の財政黒字、消費税1%で2.5兆円と考えると消費税4%分くらいの財政黒字がないと、毎年累積赤字が生じてしまうという話になります。

つまり、今の財政状況だと、プライマリーバランス(PB、歳出と歳入の差)を均衡させただけでは累積債務は減らず、10兆円の財政黒字でようやくトントン国民に還元する目的ではなく債務返済目的の消費増税4%が必要、ということです。

しかしこんな現実、おそらく国民の誰もが納得・支持できないと思います。背景には上述の税制の歴史の中で養われた痛税感もあるでしょうが、日本のみならずほぼ全ての先進国が累積債務を膨らませている現状を鑑みるに、「累積債務抱える国でPBトントンで設計した社会保障を営むと、年々累積赤字が膨らむ」のは一般性のある話なのでしょう。

(余談2) 政治の世界 – 与謝野氏の活躍

出典:wikipedia 与謝野馨

この財政論の議論をするたびに、無限に国債刷っていいMMTやら経済が悪いときは減税・積極財政だの宣う方々が沸くのですが、正直もはや分かりあうことができないのでお互い住み分けたい一心です笑

私のスタンスは、経済学者ニコラス・バーの”output is central”に象徴されるように、サービスの消費は保存できない以上社会保障は積立方式で営むことが不可能で、賦課方式下で累積債務を削る方向で運営する必要があります。選択肢は、税や保険料負担を増やすか、サービスを下げるか。

そしてこの話をすると、「お前の話は持続可能ではない!今増税されたら国民生活が立ち行かない!」みたいな批判も沢山受けますが笑、年金や医療介護を持続可能な仕組みにするために、10年以上前の2008年・2013年の国民会議で既に方向性が決まっているのだよ、というお返事をします。この辺の政策の話は別の機会にするとして。

出典:権丈善一『ちょっと気になる医療と介護』

先の議論によれば、社会保障を営むと財政黒字にしない限り年々累積債務が増えるため、社会保障の実行可能領域は、負担とサービスのバランスを考えると「中負担・中福祉」からグラフ右下方向の「中負担・低福祉」「高負担・中福祉」にシフトせざるを得ません。

日本では小泉政権・第一次安倍政権が続く2007年頃までシフトできませんでしたが、2008年の国民会議では「中負担・低福祉」「高負担・中福祉」にシフトする流れが生まれていきます。恩師はこれを「自公政権内の政権交代」と仰っていました笑

出典:テレ東BIZ 与謝野馨 元財務大臣が死去

しかしこの後政権を奪取する旧民主党は最低保証年金など全く実現不可能な政策を次々に打ち出し、その思想は「低負担・高福祉」という上記のグラフの左上の方ばかり目指します。当然ながら政治家・マスコミ・国民から不可能だと批判され、社会保障政策はどこにいくのやら。。。となったときに、この方向を調整して軌道修正したのが与謝野氏でした。

彼は小泉政権下で内閣府特命担当大臣(金融、経済財政政策)や税制調査会長、第1次安倍政権下で官房長官を務めた他、旧民主党の菅政権下で新設された社会保障と税の一体改革の担当大臣を歴任し、政策を知りつつ政治の世界を調整できる貴重な人でした。

その後、党内融和という立場をとった野田政権は、上図のシフト前「中負担・中福祉」の立場に回帰しつつ、社会保障は自民・公明含む3党合意の中で専門家に任せるというスタンスで国民会議が行われる、という流れになりました。

上記の流れの話を私が初めて聞いたとき、正直、全く意味が分かりませんでした笑 私が普段メディアやSNSで聞いた・知った話とは全く違う内容でした。何より私もこの分野を勉強する前は、公的年金は破綻するもんだと思ってました笑

特に社会保障は、色んな人が色んなこと言ってますが、その殆どが間違いか実現不可能な理想論だったりします。一方で、そうした理想論が国民の期待のベースとなることで、現行制度への不満が高まり、現状を大して知らんのに意味わからんほど否定的だったりします笑

特に大きな財源を要する社会保障政策では、有識者(?)や専門家(?)が声高らかに論じる制度的な最適解と政治家・政府が実行可能な政策は全くの別物です。この辺の理解がないまま、制度の細部や歴史的背景を知らずに統計理論とか持ち込む経済学者の方々のモグラ叩きはもはや不毛というか時間の無駄だな、と感じるようになり、SNS等で見かけるたびにブロックするようになりました。対話なんて無理だわ。。。笑

しかし私は、そうした思想的な対立が生まれる背景も含めて勉強したのである程度語れます。そしてその殆どは恩師の教えをベースにしており、是非色んな人に紹介したいと思う次第です。

医療介護はこちら。

政策思想はこちら。

公的年金については、一番分かりやすいのはこちらかな。

巨大企業が公共を代替する未来

さて、余談が大きく膨らみましたが、話をまとめに入ります笑

公共サービスが行き届かない中で企業が代替する形で福利厚生を拡大させます。累積債務を抱える国家が公共サービスを縮小、品質低下させるほど、企業はそれを市場化したり福利厚生で補うチャンスを獲得し、ビジネスが拡大します。

そこにおいて、Amazonは他のGAFAMをはじめとするBig Techの中でも特殊な位置づけの企業だと感じています。最新の生成AIやVR、関連する端末で名声を得るわけではなく、その代わりクラウド・物流・マーケットプレイスといった公共性の高い領域でシェアを獲得し、日本でもちゃんと法人税収めるようになるなど。

アマゾン、納税へ方針転換 法人税2年で300億円 売上高を日本法人に計上

インターネット通販世界最大手アマゾン・コムが、日本国内の販売額を日本法人の売上高に計上する方針に転換し、平成29年と30年12月期の2年間で計300億円弱の法人税を納付していたことが22日、分かった。従来、日本の取引先との契約は米国法人が結び、売上高も節税効果が見込める米国に計上。日本での税負担を軽減しているとの批判があった。日本事業を拡大するため適切に納税する方が得策と判断した。

出典:産経新聞 アマゾン、納税へ方針転換 法人税2年で300億円 売上高を日本法人に計上 2019年12月22日

Prime会員による動画・物流・限定セールといった複数サービス抱き合わせによるマネタイズ志向など、個々のサービスそれぞれで利潤追求することなく、会社が提供するサービス全体で客数を維持・拡大しようとする姿勢、ならびに医療・製薬(の流通)といったサービス内容は、非常に公共性を意識していると感じます。

これが私がAmazonへの転職を選んだ理由でもあり、私がこの会社で働きたい、つまり、この会社に労働力を捧げる代わりにこの会社のリソースでリスクを取りたいと考えた理由です。Amazonを筆頭に、今後巨大企業各社は公共サービスを代替していく存在になるでしょう。

一方で、国家を打倒するメリットはないと思われます。従って、国家を隠れ蓑にして国民からの批判は政治家や行政に集めつつ、企業としての利権や利潤を獲得・維持する方向にビジネスや立ち振る舞いを拡大・変容させると考えるのが自然だと思います。これは良し悪しの問題ではなく、ある条件下での人や組織のモチベーションの動き方の問題で、「社会現象」のようなものだと思います。

社会現象が望まない方向に向かうとき、そこに規制や制度を作って望ましい方向性を作るのが、国家、つまり上位の存在が担う役割でしたが、いまや国家は企業の上かと言えば必ずしもそうではなく、加えて更にその上位概念と言えば国連くらいしかなく、国連にはこうした実行力は与えられておりません。

ここまでが私の世界観で、こうした未来を見据えて約20年後に仕事に就くであろう子供たちの育て方に悩む日々です。誰もが自分の子供たちやその先の代の経済的・社会的成功を願うでしょうが、20年後、新卒のソフトウェアエンジニアなんて需要なんかないだろうし、、、特にアメリカで生きていくには、やはり一定の社会的立場を手に入れるために良い学歴を得つつ、ビジネスを作る側に回らなければいけないのかなと思ったり。

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