「三つ子の魂」に託すもの – 渡米5か月の雑記

プロフィール

数か月後の妻子の渡米に向けて住環境、特に教育環境について調べる時間が増えたこともあり、前回記事に続いて私が教育、特に幼児教育がその後の人生に大きく影響を及ぼす「モチベーション」について常日頃考えていることを書きます。

前回記事はこちら。

渡米から5カ月 – 悪い意味での「慣れ」

渡米から5カ月。アメリカでの仕事と生活にも慣れ、そして日本から数か月後に来る予定の妻子の受け入れに向けた準備をしなければならないものの、なんだか思うように体と頭が動かず困ってます笑 これは体の不調とかそういう話ではなく、単にモチベーションの問題です。「慣れる」ことは私にとっては非常に悪いことで、comfort zoneに入るとそれ以上頑張らなくなったり自分の世界を広げたりすることができず、そしてパフォーマンスもどんどん低下します。

日本にいた頃は、こうした状況を打開すべく様々な試みをやってました。3日3晩寝ることなくゲームしてみたり笑、食料と防寒具を持たずに森の中で一晩寝てみたり。色々試して分かったことは、自分には定期的に「生命の危機」が感じられることや、定期的に明確な競争ルールの下で順位が明らかになる、それもどちらかというと体を使ったスポーツ分野に限ってそういう状況にならないと心のエンジンがかからないようで、アメリカでも自分のモチベを保ちつつ魂を燃やし続けることができる機会を探しています。

先日10キロマラソンに参加させて頂く機会があり、これは非常にいい刺激でした。タイムは1時間3分とボロボロでしたが、あれ以降、心も身体も前に前に動くようになり、毎日10キロ走った後筋トレする習慣が定着しつつあり、いい循環が生まれ始めたと感じます。

「モチベーション」への興味

出典:in source モチベーション向上・管理のポイント~部下のやる気アップの理論

前回に引き続き、この記事でも未来に向けた子供の育て方にフォーカスしつつ、今回はモチベーションの話を述べます。私は人に比べて自分の興味関心だけで突っ走れる性格があり、そして成人してから過去を振り返った時に、この興味関心は先天的な私の性格ではなく後天的な外部からの刺激によるものだったと確信し、改めて教育の重要性を身にしみて感じました。

同時に、自身が受験生だったころから教育現場での数年間のバイトを通じて子供たちと接する機会が多く、いかに学力が高くてもモチベが維持できずに離脱してしまったり、精神的に病んでしまったり、あるいはいかに学力的に劣勢でもひたすらやり続けて最後の最後に大きな成果を掴んだ子も見てきました。

「誰でも結果を出せる」画一的勉強法の探究

教育現場で教えていた時は、自分自身が勉強大好きでひたすら問題解いてた経験を踏まえ、子供たちにも自分のようなモチベーションの燃やし方を伝授できるような教育方法を模索していました。どんな子にも一律に結果を出させることができる究極の勉強法を求め、特に大学生時代は「勉強法」に関する書籍や論文を沢山読み込み、都度自分や他の人たちに試しました。大学ではシケタイ(試験対策プリント)や予想問題を作る側の人種だったので笑、私の作った教材で、私の想定する学習方法で、いかにいい成績を得られるか、友達に協力してもらったりしてました。

私にはあまり馴染まなかったけど、こういう類の本から始めた記憶があります。

今思えばアホな話ですが、究極の勉強法やその教材を求め、私は10以上の様々な塾や施設を掛け持ちしつつ渡り歩いて色々な教室・子供たちに教える機会を持ちました。余談ですが、教材単体で見ると好奇心を拡張する上で最も優れた教材はS●P●Xで間違いないですが、(1)授業における指導法、(2)数年間を見越したカリキュラム及び(3)子供たち同士の競争環境とセットじゃないと子供たちは伸びないように感じました。

個別指導から少人数・30人以上の大きな教室で、学力も学校で鉛筆すらろくに握らない子たちから開成・女学館といった難関中受にて合格できる子たちまで、年齢も小学校低学年から大学受験浪人生まで。実に多くの子たちを教えました。家庭事情に恵まれず施設で暮らす子や、精神的・肉体的事情から一般的な教育現場に馴染めなかった子たちまで。

これらの全く異なる境遇の子たちに全く同じ勉強法を適用することが不可能だとようやく気付き、しかし個々人にあった勉強法は必ず存在するはず、ということで子供たちと勉強法のマッチングアプリのようなものも考えますが、既に名声と実績を持つ学習塾や親・教育現場から安価で支持されるスタディサプリ、そして何より、社会的・経済的成功より「学歴」を得ることを善と考えている日本の受験産業にちょっと嫌気がさし、いったん身を引くことにした次第です。

自己分析を通じた子育てへの視点

しかし上記の経験は、私の自己分析を大いに発展させるとともに、私が自分の子たちと接する上での想像力の向上に大きく寄与したと思います。特に「勉強法」そのものではなく、勉強を長続きさせる「モチベーション」に徐々に興味関心が移り、瞬発力は高くても持続しない好奇心をいかに長続きさせるかを考えるようになりました。

まずは自分の過去を振り返ることから始めました。私は小さい頃から、一人で無心で試行錯誤を続けて探究する子でした。先天的ではなく、幼稚園で一人朝から晩まで自由に遊び続ける経験、バイオリンの先生から1日数時間かけて最低500回の音階をこなすことを徹底的に叩き込まれた経験がこの土台となったことは間違いありません。未だに私の頭は、成功率の向上に向けた検討に時間をかけるより試行数を増やす方が成功に近づけると考える脳筋派です笑 「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ですかね。

出典:武蔵浦和メンタルクリニック ライフサイクルについて

周囲に振り回されなかったかというと全くそんなことはなく、むしろ多感な時期には非常に周囲の目線を気にする子供でした。「アイデンティティ」いう言葉を作ったエリクソンライフスタイルモデルをベースに考えると年齢に応じて人のモチベーションには発達段階があり、かつ、他者からの影響度合いは内向性・外向性の波において影響度合いが変わるようです。

出典:FromU 戦略心理研究所 【心理系大学レポート公開シリーズvol.4】心理学概論~発達段階の特徴~(評価:B)

臨床心理士の試験問題などを見てると、成長・成熟をケアする視点から他者がどのように関わるべきかが解かれており、一つの考え方として私には非常に勉強になりました。下記テキスト、私は趣味でやってましたが結構勉強になりました。

出典:東京書籍 新総合倫理

出典:肥後医育振興会 元気の処方箋 子どもの精神面、行動面の問題について 成長・発達の過程で気を付けたいこと

特にこの図に初めて出会ったときは強烈な衝撃を受けたのを覚えています。私は当時中学2年生、確か公民の教科書だったかな、思春期真っ盛りで自分のことしか頭にない私が、確かに過去を振り返ると小学校3‐5年生の頃は周りの目線が気になって仕方なく、常に周りと同じように行動するよう心がけてたし30歳超えて今から振り返っても、日本の小中学校の学習現場での指導は、この内向・外向的変化に対応した素晴らしいものだったと感じます。

下記でも少し触れますが、私は心理学そのものや心理学の影響を受けた教育学を標榜する一部の言論に懐疑的です。これから勉強を志す人には心理学そのものを勉強する前にこの学問の歴史を学ぶと捉え方が変わるかもしれません。

モデル化の試み – 同じ枠組みの共有

継続的行動を促すために、モチベーションの維持・向上を他者がサポートする場合、こういった発達段階に合わせて接し方を柔軟に変えてあげる必要があり、そのためには子供の現状を正確に理解すべく丁寧に接し手上げる必要があると感じます。

出典:C・Dラボ モチベーションマネジメントとは?メリットや成功のためのコツを解説

直近の研究も含めて色々比較検討しましたが、個人的には20世紀に主流だった モチベ=内的動機付け(好奇心)と外的動機づけ(必要性) が分かりやすくて良いと感じています。というより、直近の研究はこのモデルに対する批判が展開され新しいモデルが提案されてますが、正直こねくり回しているようにしか思えずしっくりこなかったりします。

ご興味ある方は、例えばこういう本です。

その時々のモチベーションが内的か外的かはグラデーションであり、決して明確に2分できるものではないと思います。私は、これらを横軸に置き、縦軸に「ホメオスタシス」vs「トランジスタシス」の軸を置きたいと考えます。

出典:artstation EVANGELION-01 LILITH

トランジスタシスは、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』15話に登場する造語で、現状を変えたい本能を指します。人間は生来ホメオスタシスという現状を維持したい本能とトランジスタシスという矛盾する2つの本能を同時に持つ、不安定ながらもその時々でどちらの本能に近いか立場が変わる生き物だと思います。

生命体には、今を維持しようとする力と今を超えて変化していこうとする力があります。
これら2つは、矛盾した力で両立することが難しい対立関係の中にあります。
なぜなら、前者は「維持」の役割を、
後者は「変容」の役割を持っているからです。

前者は「今」に執着します。手放さないような頑なな求心的な力で、変わらない安定を望みます。
でも、後者は「今」に執着することはありません。
むしろ今を手放し、私を超えたところからやってくる大きな遠心的な力に身をまかせるような様子で、変化変容を受け入れてゆきます。

どちらも、互いを相容れない正反対の力のようですが、
生命あるものはみんな、これら2つの力を両天秤のように持っていると考えられます。
この両極性が互いに行き来することで存在というものは突き動かされてゆきます。

このようにトランジスタシスとホメオスタシスの2つの力によって
発展してゆく可能性をもつことに注目した人は、他にも生物学者、自然学者に多くいます。
かのゲーテという人も自然科学の分野で、「形態学」を著し、生命のもつホメオスタシスを「原型」として、また、エヴァで登場したようなトランジスタシスを「メタモルフォーゼ」という形で提唱しています。

彼のこの原型とメタモルフォーゼを礎とした生命の形態学は、現在では生物学をはじめ、解剖学などでもなくてはならない理論として取り入れられ、学び続けられています。

出典:ふうたろぐ 【wiki風解説】トランジスタシスの意味やホメオスタシス、造語であるとの噂の真相は?

どの状況なら成果が最大化するかはケースバイケース、ただ子供にとって重要なのは自分の現在地を常に知ること、フィードバックを受けることだと感じ、加えてフィードバックを受けた子供たちが自分たちの行動を変えるためには、ある程度良し悪しの価値感を含んだ共通のモデルが必要だと感じ始めました。良し悪しを含む価値観とは、例えば「お金を稼ぐことは良し」「制限時間を決めて行動することは良し」「周りの人に積極的に関わって相手の行動や言動を変化させたら良し」等々。

行動主義への反省

客観性と再現性が求められる科学において、心理学は第2次大戦を経て大いに進展しました。その中で主流になるのが行動主義、私の言葉で端的に言うなら、「環境が同じなら同じ行動を生む」です。

行動主義(英: behaviorism)は、心理学のアプローチの1つで、内的・心的状態に依拠せずとも科学的に行動を研究できるという主張である。行動主義は、唯物論・機械論の一形態であると考えられ、あたかもブラックボックスのような外からは観察ができない心が単独で存在することを認めていない。 多くの行動主義者に共通する1つの仮説は、「自由意志は錯覚であり、行動は遺伝と環境の両因子の組み合わせによって決定されていく」というものである。

20世紀、精神分析学のムーブメントと同時期に、行動主義学派は心理学に浸透した。

行動主義に影響を与えた主な人物には、

・条件反射を研究したイワン・パブロフ
・試行錯誤学習を研究したエドワード・ソーンダイク
・内観法を破棄し、心理学の実験法を問い直したジョン・ワトソン
・行動主義にプラグマティズム的な倫理的基点をもたらし、オペラント条件づけの研究を先導したバラス・スキナー

などがいる。

全ての行動主義者にも共通するようなアプローチは存在せず、多様な主張が存在する。その代表的なものの幾つかを以下に挙げておく。

・行動の観察が心的過程を研究する最高・最善の方法である。
・行動の観察が心的過程を研究する唯一の方法である。
・行動それのみが心理学の研究対象である。例えば「信念」や「性格」といった心的概念を表す一般的語彙は、単に行動への傾向性を主題とするための方便にすぎず、指示対象として何らかの心的実体を伴う訳ではない。

出典:wikipedia 行動主義心理学

出典:wikipedia アドルフ・アイヒマン

オーストリアの善良な一市民だったアイヒマンがナチスドイツ下で冷酷な大量殺戮者に代わるアイヒマン裁判や天皇制ファシズム下での大人数の国民の統制、並びに敗戦後の急激な戦後復興を支えた画一的な能力と思考を持つ国民を踏まえ、「ある条件を与えるとある行動・性格・成果を生む」「あるインプット(情報)を与えると、あるアウトプット(成果、行動)を生む」という考え方が強まり、これを教育や訓練に応用すべく、子供たちに与えるべき条件や情報の研究が盛んになります。

裁判を通じてアイヒマンは、ナチス・ドイツ政府によるユダヤ人迫害について「大変遺憾に思う」と述べたものの、自身の行為については「命令に従っただけ」だと主張した。また、ヒトラーの著書の『我が闘争』については、「読んだことはない」と述べている。

この公判時にアイヒマンは「1人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」という言葉を残したとされる[45]。アイヒマンは死刑の判決を下されてもなお自らを無罪と抗議しており、その模様は記録映像[注釈 1]にも残されている。

出典:wikipedia アドルフ・アイヒマン

しかし、今の時代では当然ですが、こういった画一的なやり方は再現性が担保できるはずもなく、子供の集団に同じ授業をしても同様に成績が伸びるわけではありません。この理由を探究する過程で、「同じインプットでも人によって感じ方、受け取り方、感受性が異なる」ことが注目され、認知心理学が発達したりしてきました。

学習法の習得も職人芸

上述のエリクソンのライフサイクルモデルやその関連研究には非常に共感し、研究者の方々の努力に心からの敬意を表しつつ、昨今の心理学の発展においては、私が探究する教育・訓練の在り方には参考にできる部分が減ってきている、あるいは参考にすべきでないと感じるようになりました。

出典:Social Studies 最近よく見かける ” ラーニング・ピラミッド ” について

「講義を聴くだけでは勉強内容の5%しか定着しなかったが、自分が他の人に教える場合は95%も定着した」として様々な教育現場で引用される「学習のピラミッド」ですが、私が学生時代にこの出典を探した際は元ともなる論文やその実験が見つかりませんでした。上記の出典元の記事でも指摘されているように、おそらくこのモデルには根拠はなく、しかしこのモデルは直感的には非常に説得力があり、教育・訓練の現場で使うモデルには、これくらいの大雑把さがある方が共通認識を作りやすいのかな、と思ったりします。

自分の子供を含め、目の前にいる子供や大人の教育・訓練をサポートする立場になるとき、自分が直感的に正しいと思えるモデルを相手に共有して共通認識を作り、目標達成や自己実現、改善に向けてリード・フォローするという考え方が強まる中で、私は、自分が納得するモデルを探しつつ、自分がなぜこうしたモデルを正しいと思うのかを考えるようになりました。

出典:Schoo 地頭とは?地頭がいい人の特徴や地頭力の鍛え方を解説

出典:外資就活ドットコム 論理的思考力? 頭の回転の速さ? 空気を読む力? 分かるようで分からない“地頭”の正体を探る

出典:フォスターワン 学びの7段階

特にコンサル業界のトレーニング本や資料はこうしたモデルの宝庫で、熟練の方々が体系化した図を見るたびに興奮しっぱなしでしたが、様々なモデルに触れる中で、なぜ自分がこうしたモデルに価値を感じるかというと、実体験としてモデル内に示された要素の欠如で失敗した、あるいは要素を理由に成功したと感じる記憶を持つからだと思うようになりました。

では、経験にも乏しく、複数のモデルの良し悪しを自力で判断できない子供たちには、どのようにモデルの共有を行うべきか。色々考えた結果、それは職人芸として「何も考えずに真似しろ、それが正しいか否かは大きくなってから考えればいいからとにかくやれ」が正解だと考えるようになりました。まさに私が経験した「音階500回」とか「玉を磨くように日々鍛錬を積み重ねて精進する」といったモデルは、幼少期に植え付けられた「精神論」でした。

勉強法すら職人芸で、「この勉強法が良い」と紹介されても、表面的な真似をしてすぐ辞めてしまうもの。書道や剣道といった「道」のように、方法論だけではなく精神論まで規定する必要があります。加えて私のバイオリンの先生の教育の中でも特徴的だったのは、報酬系に殆ど触れないことでした。「これをやったら xxxができるようになる」「コンテストで入賞できる」「年収xxx円になる」「xxxを買ってあげる」といった外的動機づけに訴えることは一切なく、1年以内あるいは数年先といったレベルの短期的な目先の利益など全く意識させず、数十年後までの人生のために、マジで音を外すとスリッパで引っぱたくから音を外さないよう練習しろ、この曲が美しく弾けるようになれ、でした笑

その先にどんなメリットがあるか、とか、どんなばら色の人生が待っているかは全く話に上がらず、とにかく無心で打ち込む。今ならパワハラで一発アウトですが、こういった訓練を受けた私は、次第に自分の内的動機付けだけで無心に大量の試行錯誤を行い、そして結果に至る体力と習慣が幼少期から身に付いたと思います。

22世紀を生きる上での「三つ子の魂」

幼少期から祖母に商売を教わり、そしてマンガやTVの影響もあって歴史に興味を持っていた私は、気づけば自分が得る情報を必ず会計か歴史に紐づけていることを感じていました。

出典:BioPPQ 研究が解明してきたミトコンドリアの意外な一面

例えば、生物分野において、今や私達の細胞の一つ一つに存在するミトコンドリアは元々別生物だったという話を聴いたとき、当時中学生3年生だった私は「M&Aしたんだなあ」「PMI大変そう笑」と考えてました笑

出典:見えてくる産婦人科学 オブギネ学校 こんな解説が欲しかった!ヒトの発生

卵割の三胚葉を学んだときは、これは「ペティクラークの法則だ」と整理しました。

出典:地理おた部 ~高校地理おたすけ部~

ペティクラークの法則とは、国家の経済的発展に伴い、主産業が1次(農業)から2次(工業)、3次(サービス業)に移り変わるという法則です。要は付加価値の高い産業にどんどん移行するという話です。

生物の進化を歴史的にみると、過去、ミジンコ程度の小さい生き物だったころは食べ物を摂取して生き延びるために消化管に全振りし、その後恐竜の時代では工業労働と同様に骨格や筋肉が生存確率を高める要素であり、そしてホモサピエンスの発達により知識や知恵が骨格よりも優位になる、これが3次産業たるサービス業。1次→2次→3次は、それぞれ生物の歴史において生存優位性を高めていた身体の部位が内胚葉→中胚葉→外肺葉だったと考え、一連の卵割の中に歴史の一般性を見出したりしてました

幼少期に学ぶ「モデル」は、人がその後得る情報の切り取り方、整理手法、記憶手法に大きく影響するのでしょう。この意味でも幼少期からモデルを与えて学ばせつつ、そのモチベーションの土台を作ることがとても大切だと考えます。特に3歳頃から与える教育が、その人が世界を理解するためのモデルを形成し、100年間の人生に影響するという点では、まさに「三つ子の魂百まで」の「三つ子の魂」を作る教育は非常に重要だということです。

上述のライフサイクルモデルにおいて、2歳ごろまでのイヤイヤ期を終えて内向的から外向的になる3歳くらいのタイミングで、職人芸としてのモデルや習慣を叩き込むのは非常に合理性があるのでしょう。私が幼児教育を調べるようになったのもこういった背景があります。一方で、スリッパで叩いて恐怖によって練習させるようなやり方は、時代にもアメリカという地域にもマッチせず、そして22世紀に向けてた教育としてはなじまないと考えます。少なくとも私は自分の子供たちにはこういう教育を施す予定はありません。

上記の職人芸は、ハマればハマるほど、他の価値観や文化を持つ人との相互理解や意思疎通を難しくします。実際に私が究極のコミュ障に育ったように笑、良しとするモデルに固執して技を磨くあまり、他の在り方や思想を悪しだと考えてしまうようになります。バランスが悪いのです。

出典:opinion 『21世紀の資本』訳者解説――ピケティは何を語っているのか

こうした職人芸は、職人や研究者といった技能で世界を取る人たちには必須でしょう。ただ、私は子供たちに商人の立場を幼少期からのマインドセットとして持ってほしいと考えています。人とのご縁を大切にしつつ、長期的な人々の安定や柔軟な対応力を直感的に理解できるような、対人スキルと大局観です。私はこの力の開発に向けて、子供のモチベーションとの向き合い方を検討してきました。

毎度ながらの引用で恐縮ですが、ピケティのr>gは22世紀も続くでしょう。世界的に見てもr(≒投資の成長率)は5%弱、g(賃金の成長率)を上回り、従って労働所得だけで生活する人は資本家・投資家との経済格差をどんどん広げられてしまうのです。

出典:投資を楽しむ ピケティ「r>g」の世界に抗うための株式投資

仮に第三次世界大戦で全ての株や債券が吹っ飛び、全ての富裕層が皆殺しにされたり、ソ連のような社会主義国の再興で労働者の権力が回復し、資本課税が実現してrとgの関係性が逆転するような事態になれば話は別ですが、きっとそんな未来は訪れないでしょう。国家による課税や国債発行も求心力を落としており、rとgの差は埋まらないまま22世紀を迎えると思います。

私は、子供たちに労働所得に頼らなくて済むようになるよう自分の人生を設計し、今その計画を遂行している最中です。群馬の貧農から親子2世代で大きく階級を高めたものだなと思います。そして子供たちには、資本家・経営者として生き抜けるような対人スキルと大局観を伝えます。子供たちの人生観や就きたい仕事の選択は本人たちの自由ですが、どんな時代になろうとどんな苦難に直面しようと、その状況を楽しみつつ乗り越えられるモチベーション開発に向けて、もうすぐ3歳になる長女への接し方を日々検討しております。100歳まで続く三つ子の魂の開発、そして理論化に向けて、日々精進。

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